もちろん脚本を書いていた時には、イギリスに来ることになるとは知るよしもなかった。まさかエリオットの住んでいた近くの教会を訪れるとも思わなかった。しかも、誘われるようにラストシーンを撮影することになるとは。その映画は、『SKシリーズ』とは別の『アイのサーガ』というシリーズの長編映画。結局エリオットの詩自体は使用しなかったのだが、そのチェルシーの教会で撮影した映像はラストシーンとして使わせてもらった。日本では撮ることができないような神々しい雰囲気は、まさに人が死んで生まれるラストシーンにぴったりだった。エリオット師に導かれたのか、奇跡的にその教会に入った。後からそう思った。
今考えると、その教会は百年前にも当然その地にあったはずだから、エリオット自身もきっと足を運んでいただろう。というのも、彼には宗教的な視点の詩もたくさんあるからだ。そう考えると、ますますこの詩人との縁、この出来事に驚愕してしまう。たまに映画作りにはこのような力が働き、そうすると作品が一段上のものになる。ちなみにエンドクレジットで使う予定だったエリオットの「岩の合唱」という詩を、実際には使用しなかったのも、その教会自体にエリオットの書いてあるようなパワーが宿っている気がしたからでもある。また言っていいのなら、エリオットの魂といってもいい。
その日、最後にパブに入ろうと(たまらなくイギリスのビールが飲みたかった)、近くをフラつく。こういう時に女性でなくてよかったとも思う。さすがにロンドンでも一人で夜の街をフラつくことは危ないから。いやロンドンで身の危険を感じることは一度もなかったけど(アメリカとかなら数度は感じるもんだし、場所によっては東京でも感じることはある)。そういう危ない場所に行かなかったせいか、ロンドンでは危機感は感じなかった。EUから独立したばかりのイギリスは、安全で夜もそれほど問題じゃなさそうだ。
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