少し酔っ払いながら、急いで電車に乗る。そのまま空港へ行けたらいいんだけど、一度ユースホテルに戻り預けてある大荷物をピックアップしなければならない。駅からユースホテルまで往復三十分近く。電車に乗る時間をあわせると、空港まで一時間以上かかる。少し焦って、冬なのに汗をかきながら走った。アメリカで帰りの飛行機に乗り遅れたことがあり(このときはリムジンバスが渋滞で全く来なかった)、嫌な予感がよぎる。とにかくユースまで急ぐ。そしてデカいバッグを背負って、再び走る。旅とは体力を使うものだ。もちろんお金を払えば空港までタクシーとかも可だろうが、さすがにそんな余裕はない(色んな意味で)。それにちょっと安心していたのは、一度アメリカで乗り遅れてるので、最悪乗り遅れたら便を変更してもらえることも分かっていたからだ。
とはいえ、ヒイヒイ言いながら、なんとか電車に乗り込む。なんとか飛行機に間に合った。よかったが、土産を買う時間もない。なので、途中のドーハ(再び乗り換え)でチョコレートなどを買う。でもそうしていると、今度は乗り換えの飛行機に乗り遅れそうになる。なにから何まで時間がないのも、この旅の醍醐味だった。映画に始まり、映画祭のおかげで旅をして、冬のロンドンに行くのはちょっと億劫だったけど、結果的にはよかった。経験はもちろん、その二月の終わりから世界中で(イギリスでも)新型コロナウィルスが一気に広がり、日本でも三月頃には海外に行くムードじゃなくなってしまった。五月に予定されていたニース国際映画祭もオンライン開催になってしまった。それどころか、さらに一年以上に渡りコロナ禍が続くことになる。この時ロンドンに行ってなかったら、海外映画祭の醍醐味を味わえないままだったろう。そう考えると、何事もタイミングである(運命とまでは言わないにしても)。ラストチャンスをものにしたのかもしれないし、そのおかげでこうして紀行文まで書くことができた。これで筆を置くことにしよう。
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