その図によると、ロンドン塔の歴史は古く、西暦千年くらいのときに征服王ウィリアムが建てたのが最初とか(ホワイトタワーだ)。イギリスの歴史は高校の授業でも習ったはずだが、遠い昔なのでちょっと記憶が曖昧(ここに書くことも間違っていたら申し訳ない)。それから何度も改築や補強を繰り返しつつ、ロンドンを守る最前線の砦だった。塔とはいえ半分はお城みたいになっており、すぐ横のテムズ河とつながっている。小さな船が出入りできる仕組みになっており、そこからアン・ブーリンもやってきた。
そう、昔読んだ本「ロンドン塔」のメインとなるのは、このアン・ブーリンという女性(王妃)の処刑である。ロンドン塔の明暗、その暗い部分を象徴する事件。ちなみに未見なのだが「ブーリン家の姉妹」という映画も、ナタリー・ポートマンとスカーレット・ヨハンソンで作られたくらいイギリスでは有名な話である。というのも、ヘンリー八世の離婚もからんでいて、当時はキリスト教が強かったから王といえど離婚は禁じられていた。ヘンリー八世は離婚するために、キリスト教から抜けてまで再婚したのである。そしてキリスト教から王が抜けるということは、国ごとであった。ヘンリー八世により、イギリスには独自のイギリス国教会ができた。すごいレベルの話だ。またこのことに反対した忠臣トマス・モアは、王により(仕方なく)処刑された(このことはトマス・モアの銅像のところでも書いた)。
ヘンリー八世が再婚したのは、彼には世継ぎの男子がいなかったからだった。しかし再婚したアン・ブーリンにも息子はできず(娘はできた)、それが理由か分からないが結局処刑されてしまう(王による計略という説もある)。ヘンリー八世亡き後、めぐりめぐって王となったのが一人娘、アン・ブーリンの一人娘・エリザベス。最後の最後までエリザベス女王が結婚せず、つまり子どももできずスチュワート朝は途絶えてしまう。それは、おそらく母親だったアン・ブーリンの処刑や、父親ヘンリー八世に対するなにがしの気持ち(または世継ぎというものに対して)もあったのかもしれない。
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